「世の中に出版されているすべての本を、著者自らが書いているわけではない」。愛妻家大田正文が、実際に出版を経験して知った、最もショックだった事実。

■今、書いておかないと、今の気持ちを忘れそうな気がして。
愛妻家自身の感情の備忘録の意味も込めて、ここに、書きのこしておきます。
■愛妻家大田正文、幼稚園に上がる前、一番最初にサンタさんからもらったクリスマスプレゼントが絵本だったことを、いまも鮮明に覚えています。
以来、愛妻家は小学生のときから、図書室で最も本を読んだ人ランキングの常連でした。
愛妻家は、子供の頃から、今でも。
ずっと、本が大好きなのです。
■そんな愛妻家が、実際に本を出版したときに知った、最もショックだった事実があります。
■それは、
世の中に出版されているすべての本を、著者自らが書いているわけではない
ということ。
■これには、ふたつのショックが含まれていました。
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【ショックその1】著者本人が、文章を書いていない、というショック。
■世の中では、口述筆記やインタビューで、実際には「ライター」と呼ばれる職業の方が文章を書く、そんな本のでき方のほうが一般的だと知ったとき、愛妻家は心からショックでした。
■そう、純な愛妻家は、自分自身が出版業界の内部を知るまで、世の中の本はすべて、著者本人が書いていると信じ切っていたのです。
■でも、よく考えると、日本を代表する経営者や芸能人が、貴重な時間を割いて、自ら本を書くわけないですよね。
■一冊分の文章を自分自身で書き切るには、並大抵ではない精神力・集中力・文章力が必要です。
その力たるや、「悟りが開けるんじゃないか」と思えるくらいです。
■そして、その力は、誰もが持っているわけではない。
今考えると、至極当たり前な事実なのですが、それを知った時の愛妻家のショックは、相当なものでした。
■「著者」の価値って、いったい、何なのだろう。
【ショックその2】実際に文章を書いたライターの方は、まったく表舞台に登場しないというショック。
■真偽の程は置いておいて、昔、音楽業界で、某有名プロデューサーのゴーストをやっていた、という方のお話を聴く機会がありました。
「僕は、決して社会的に表舞台に出ることはないんです」
■同様に、実際に文章を書いたライターも、決して表に出ることはありません。
■僕は、この現状をとても勿体無いと思っています。
なぜなら、「人が読める文章を書ける」というのは、物凄い才能だからです。
でも、残念ながら現状では、そんな才能があるライターの名前が、世にでることはありません。
■たとえば、著者名の横にライターの名前を併記できれば、才能があるライターの社会的価値が上がり、ライターという職業に次のステージがある気がしてなりません。
■「ライター」の価値って、いったい、何なのだろう。
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■『ほんとうに、このままでいいの?』って。
本好きな、子供の頃の僕が。
今の僕に、問いかけます。
