愛妻家大田正文が、自己肯定感を持つに至った3つの要素。
■愛妻家大田正文です。自己肯定感の塊です。
「人生の成果を出すには、自己肯定感がいちばん重要。まささんにはそれがあるよね」
と、以前複数の友人・知人に言われたときはピンとこなかったのですが、40歳を目前に控えてようやく「自己肯定感」の高さは人生において重要な要素だと実感するようになってきました。
■何故、愛妻家が自己肯定感が高いのか、昔を思い出して3つの要素をつらつらと書いてみます。
【要素1】両親の育て方・愛情
1つめの要素として、幼少期からの両親の育て方・愛情があります。
『母親』
・子供の教育に熱心。愛妻家には姉がいるのですが、姉も愛妻家も含めて、幼少期からお金を教育費につぎ込んでいました。物心ついたときから、母親自身が欲しい物を買っていた記憶がありません。母親は自分で使うお金があったら、全て子供に使うか、将来のために貯めていました。そんな姿を見て育ったため、愛妻家は今でもずっと、母親だけは裏切れないな、と考えて生きています。
・子供(=愛妻家)が悪いことをしたらきちんと叱ります。場合によってはお尻を叩かれたり、平手が飛んできたりも普通でした。ですが、その後はきちんと愛情で包んでくれる、『愛のある叱り方』をしていたため、子供心にも親の愛情が伝わってきました。
『父親』
・とにかく優しい。愛妻家が父親に叱られたことは人生で3回しかありません。そして、父親にぶたれたことは人生で1回きりです。親父にもぶたれたことがないのに!というアムロ・レイの気持ちもなんとなくわかります。
・大学生の頃、父親の新車を愛妻家が借りて追突事故でフロントがへしゃげた時も怒らずに「無事でよかった」という声をかけてもらったときは、怒られなかったことで逆に申し訳なさでいっぱいになった記憶があります。
・愛妻家、幼少期からよく父親に連れられて職場に遊びに行っていた(父親が仕事をしている間、愛妻家は会社の中で遊びながら待っていた)のですが、今から振り返ると、黙々と真面目に仕事に向かう姿をみて、働く姿とはこれが当たり前だということを父親から教えられた気がしています。
【要素2】自分がやりたいことを「自由」にやりきって生きていること
愛妻家、これまでの人生で自分がやりたいことを「自由」にやりきって生きています。
・例えば、大学生の頃はキャラクターショー(ぬいぐるみの中の人)の劇団での活動が面白くて時間をほとんどそちらに割いていたのですが、社会人になってから母親に話を聞くと「当時は劇団の活動に内心反対だった。お金にならないから。でも、あれがあったから就職活動にも役立ったし今考えると良かったわね」と言われました。
・進学も就職も社会人としてのキャリア選択も人生の伴侶選びも家庭の築き方も、自分自身で「自由」に選んで来た、という自負があります。それ以上に『常に自分がしてきた人生の選択は正解である』という確固たる自信があります。
【要素3】人生の節目節目で、自分が思いもかけない周りの人からポジティブな言葉をもらえること
振り返れば、人生の節目節目で色々な方からポジティブな言葉を貰って生きてきています。
悪口もあったとは想うのですが、悪口は全く覚えておらず、ほめられた言葉だけを脳が食べて生きてきた、という感覚です。
・例えば、学生時代のバイト先で、ほとんど話したことがない女性社員から「どうしたら大田くんのようなまっすぐな青年に育つのかしら」という言葉をもらったことを今でも覚えています。
■なんとなくオチもないままつらつらと書いてみたのですが、結局何が言いたいのかというと。
愛妻家よりも優秀だなぁ、と感じる人たちがコンプレックスにさいなまれている姿を見ると「コンプレックスなんて感じる必要ないのにな」と思っていますよ、ということです。
誰にとっても一度しかない、自分自身の人生なのだから。
「人生の成果を出すには、自己肯定感がいちばん重要。まささんにはそれがあるよね」
と、以前複数の友人・知人に言われたときはピンとこなかったのですが、40歳を目前に控えてようやく「自己肯定感」の高さは人生において重要な要素だと実感するようになってきました。
■何故、愛妻家が自己肯定感が高いのか、昔を思い出して3つの要素をつらつらと書いてみます。
【要素1】両親の育て方・愛情
1つめの要素として、幼少期からの両親の育て方・愛情があります。
『母親』
・子供の教育に熱心。愛妻家には姉がいるのですが、姉も愛妻家も含めて、幼少期からお金を教育費につぎ込んでいました。物心ついたときから、母親自身が欲しい物を買っていた記憶がありません。母親は自分で使うお金があったら、全て子供に使うか、将来のために貯めていました。そんな姿を見て育ったため、愛妻家は今でもずっと、母親だけは裏切れないな、と考えて生きています。
・子供(=愛妻家)が悪いことをしたらきちんと叱ります。場合によってはお尻を叩かれたり、平手が飛んできたりも普通でした。ですが、その後はきちんと愛情で包んでくれる、『愛のある叱り方』をしていたため、子供心にも親の愛情が伝わってきました。
『父親』
・とにかく優しい。愛妻家が父親に叱られたことは人生で3回しかありません。そして、父親にぶたれたことは人生で1回きりです。親父にもぶたれたことがないのに!というアムロ・レイの気持ちもなんとなくわかります。
・大学生の頃、父親の新車を愛妻家が借りて追突事故でフロントがへしゃげた時も怒らずに「無事でよかった」という声をかけてもらったときは、怒られなかったことで逆に申し訳なさでいっぱいになった記憶があります。
・愛妻家、幼少期からよく父親に連れられて職場に遊びに行っていた(父親が仕事をしている間、愛妻家は会社の中で遊びながら待っていた)のですが、今から振り返ると、黙々と真面目に仕事に向かう姿をみて、働く姿とはこれが当たり前だということを父親から教えられた気がしています。
【要素2】自分がやりたいことを「自由」にやりきって生きていること
愛妻家、これまでの人生で自分がやりたいことを「自由」にやりきって生きています。
・例えば、大学生の頃はキャラクターショー(ぬいぐるみの中の人)の劇団での活動が面白くて時間をほとんどそちらに割いていたのですが、社会人になってから母親に話を聞くと「当時は劇団の活動に内心反対だった。お金にならないから。でも、あれがあったから就職活動にも役立ったし今考えると良かったわね」と言われました。
・進学も就職も社会人としてのキャリア選択も人生の伴侶選びも家庭の築き方も、自分自身で「自由」に選んで来た、という自負があります。それ以上に『常に自分がしてきた人生の選択は正解である』という確固たる自信があります。
【要素3】人生の節目節目で、自分が思いもかけない周りの人からポジティブな言葉をもらえること
振り返れば、人生の節目節目で色々な方からポジティブな言葉を貰って生きてきています。
悪口もあったとは想うのですが、悪口は全く覚えておらず、ほめられた言葉だけを脳が食べて生きてきた、という感覚です。
・例えば、学生時代のバイト先で、ほとんど話したことがない女性社員から「どうしたら大田くんのようなまっすぐな青年に育つのかしら」という言葉をもらったことを今でも覚えています。
■なんとなくオチもないままつらつらと書いてみたのですが、結局何が言いたいのかというと。
愛妻家よりも優秀だなぁ、と感じる人たちがコンプレックスにさいなまれている姿を見ると「コンプレックスなんて感じる必要ないのにな」と思っていますよ、ということです。
誰にとっても一度しかない、自分自身の人生なのだから。
