【あなたの人生が変わるエントリ】愛妻家大田正文、尊敬する邱永漢さんのご冥福をお祈りします。

■愛妻家大田正文が尊敬する、邱永漢さんが亡くなった。
■妻の次に、人生に影響を受けた方。直接逢いに行って、御礼も述べた。
この方がいなければ、今の愛妻家の状態は無かったのだ。
■ショックで言葉も出ない。ご冥福を、お祈りいたします。
「これからアジアの国々は酷い目にあう。
大変な事になるだろう。
でも、それも面白いね。」
最期の言葉を、胸に刻んで、これからの人生を選択します。
■そして、ここに、このエントリを読んだ方の人生が変わる、情報を残しておく。
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【2001年】
■その方の名前を、はじめて知ったのは、確か、2ちゃんねるの投資系の板のスレッド「お金持ちになるためにオススメの本を教えろ」とか、そんな感じのスレッドだったと思う。
邱永漢 株の原則は読んでおけ
そんな書き込みを見た愛妻家、
(……漢字が読めない……。)
■早速、邱永漢さんのググってみると、糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞のコラムがヒットした。
ハイハイQさんQさんです(ほぼ日刊イトイ新聞にて連載:全900回)
このコラムを少し読んだだけで、愛妻家はすっかり夢中になってしまった。
邱永漢さんの文章は、とてもわかりやすく、それでいて、時代が変わっても変わらないたいせつな人生の原則を書いているのだ。
■愛妻家はすぐに夢中になって、邱永漢さんの著作を読み漁った。文字通り、読み漁ったのだ。
邱永漢さんの書いた本は、昭和の時代に書かれた著作であっても、現代にもまだまだ通用する内容ばかりだった。
それはつまり、これらの本が書かれた時代に、既に邱永漢さんは時代の先を予見していた、ということだ。
なかでも、愛妻家が人生のバイブルにしている本が3冊有る。
それが、「生き方の原則」「株の原則」「商売の原則」の三冊だ。
■この三冊の内容は、いまでも愛妻家の思考・行動の根底にある。
ぜひ、みなさんにも読んでいただきたい。
【2002年】
■この頃の邱永漢さんは、中国でのビジネス・株式投資に軸足を移している時。
先のコラム「もしもしQさんQさんよ」でも、2002年からはじまった「ハイハイQさんQさんデス」でも、中国株投資をすすめていた。
ハイハイQさんQさんデス
邱永漢さんがおっしゃるなら、やってみよう!
■ところが、妻には大反対を喰らった。
「中国なんかに投資したら、お金なんて全部なくなっちゃうでしょう!!」
それが、当時の一般的な日本人の反応だった。
当時の日本には、中国脅威論・中国崩壊論しか無かったのだ。
■だけど、愛妻家には、邱永漢さんが言う「これからの時代は、中国の時代だ」ということのほうが、時代の流れとして、正しいと思えた。
だから、妻にこう言って押し切った。
「中国株は数万円で買えるし、万が一ゼロになったら、働いて稼いで返すから」
はたして、2002年から現在までの中国の成長は、ここで多くを語らなくてもいいものとなっている。
【2007年】
■邱永漢さんは、投資考察団という投資視察ツアーと、邱友会という食事会兼勉強会を定期的に開催されていた。
そして、この頃には、愛妻家も人生の基盤が盤石になり始めていた。
このタイミングで、邱永漢さんに、御礼を言いに行くべきだ。
そうでないと、一生後悔する。
■そう考えた愛妻家は、中国 北京で開催された邱友会に参加した。
そして、はじめて邱永漢さんに逢い、御礼を述べた。
「ありがとうございます。おかげさまで、人生の基盤を確立することができました」
邱永漢さんは、笑顔で「そうですか」と言った。
■愛妻家、邱永漢さんをますます尊敬した。
なぜなら、邱永漢さんは、常に笑顔を絶やさないのだ。
■そして、この邱友会で出会った方とは、いまでも関係が続いている。
【2010年】
■愛妻家大田正文、はじめての著作 人生を変えたければ「休活」をしよう!を出版。
■邱永漢さんは、直木賞作家でもある。
愛妻家は、同じ著者としてデビューできたことを誇りに思い、
「これで、すこしだけ、あこがれの邱永漢さんに近づけたかな」
と、思った。
実際には、まったく邱永漢さんの足元にも及ばないけれど。
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■朝9時ぴったりに、毎日、ハイハイQさんQさんデス を読むのが、愛妻家の一日の日課でした。
こころから、ご冥福をお祈りいたします。
……これまで、ほんとうにありがとうございます。


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